自らの道を選べるようになる子育て 作詞家・作家 吉元由美ARTICLE

非認知能力を高める子どもの接し方と親の在り方

杏里の「SUMMER CANDLES」「HAPPY ENDでふられたい」や、平原綾香の「Jupiter」など、幾多のヒット曲の歌詞を手掛けてきた吉元由美さんに、「非認知能力を高める子どもの接し方と親の在り方」について聞きました。現在、小説家・エッセイストとして活躍する吉元さんは、「人生を冒険だととらえてみると全く変わってくる。親子は人生という冒険物語を生きる者同士」だと言います。

親は子どもが独り立ちするまでを支えるサポーター

36歳で結婚すると同時に子宮筋腫が発覚。困難を乗り越え37歳で出産した吉元由美さんは、元気に生まれてきた娘さんを見て「新しい扉が開いて、冒険が始まるんだな」と感じたと言います。

「その冒険物語は、私のものであり、子どものものでもあります」(吉元さん、以下同)

吉元さん自身が子育てをする中で感じるようになったのは、なぜこの子は自分を親に選んで生まれてきたのか。何をかなえたいと思って生まれてきたのかということ。「子どもと共に歩いていく姿勢が必要なのではないか」と思うようになったと言います。

「赤ちゃんは私たちが手を掛けなければ死んでしまいます。でも手を掛けて共に歩んでいけば、やがては独り立ちする。親は、子どもが独り立ちするまでを支える、最大のサポーターなのではないかと思うんです」

ところが今は親が、子どもが失敗をしないように、転ばぬ先の杖を用意しやすい環境になっています。子どもの希望に気づいた親が、先回りして過度に教え込もうとしたり、導こうとしたり。

「でも本来、子どもはコントロール不能な存在。いかに子どもの気持ちを尊重して育てていくかによって、その子が発揮できる能力も変わってくるのではないでしょうか」

だからこそ意識的に時折、客観的にわが子が何をしたいのかを感じ取り、その達成のために「こうすればいい」「ああすればいい」と介入するのではなく、子どもがどうやってしたいことに向かっていくのかを見守る。または「こうしてみたらいいんじゃない?」と「提案」してみる。すると子ども自身が「選び取っていく」道筋ができるのだと吉元さんは言います。

幼少期から「あなたはどうしたいの?」と意見を聞くように

吉元さんの娘さんは現在22歳。中学2年生の春、アメリカの高校へ進学することを娘さん自身が望み、15歳で単身アメリカへ。そのままアメリカの大学に進学。小学校の頃から大学付属の学校に通わせていただけに、当初は驚いたと言います。

「なぜ?と娘に尋ねたら、『日本の学校は暗記する勉強が多く、自分の考えを話し合えるような場ではないから』と言いました。
彼女がそのような考え方をするようになった、直接的なきっかけとは言えないかもしれませんが、私は娘と二人で旅行をし、様々なカルチャーを見ていました。
それによって何かを育もうと意識していたわけではないんですが、もっと世界を見たい、意見を交わしたいという気持ちに至った部分はあるようでした」

また、吉元さんが支援団体を通じて、フィリピンの少女の小学校から高校卒業までをサポートしていたことも、関係していたのではないかと言います。

とはいえ、吉元さんは子どもと何かをするときに、一緒に冒険をするような気持ちはあっても、子どもに影響を及ぼそうと考えてしていたわけではありません。

「いくら海外で学ぶことが大切だと親が思っていても、『留学しなさい』と親に強要されたら、娘は行かなかったと思うんです」

ただ吉元さんが心がけていたのは、「あなたはどうしたいの?」と意見を聞くこと。

「私は娘に対し、幼稚園の頃から、『あなたはどう思う?』『どうしたい? どんなふうに考えている?』『どう感じている?』という問いかけを、ことあるごとにしてきました」

もちろん幼い頃は「わかんなーい」と答えることもあり、普通なら「そうなの?」と受け流してしまいそうなところを、吉元さんは必ず「それじゃママは分からないから話して」と聞き直したと言います。

「そうすると、子どもは説明しようと努力します。それを繰り返すことで、表現力が付きます。それこそ、非認知能力の一つとして注目されていますが、表現力は今の子どもたちにとって、とても大切な力ですよね。その力を付ける訓練は、実はこうやって家庭でできることなのだと思うんです」

幼少期から「『分からない』ではママが分からないから話して」と話しかける

娘さんが、アメリカの高校への進学を自ら申し出たのには、吉元さんの方針も関係しています。

「小さい頃からいろんなことを、なるべく子どもが決められるようにしていました。例えばお稽古事もそうです。習うものはすべて自分で決めるようにように水を向けていました」

その中で、吉元さんはピアノとバレエはやったほうがいいと思っていたものの、娘さんは「ピアニストになるわけでもないのにやっている意味が分からない」とピアノの練習をあまりしなかったそう。
結果、発表会2週間前に先生に「ピンチだね」と言われてしまった娘さんは、吉元さんに相談。そのとき吉元さんは、咎めることなく「よかったね!」と答えたと言います。

「娘は『ああまたママが変なこと言い出しちゃった』と思ったらしいのですが、私は『ピンチだったらもうこの先頑張るしかないでしょ』と伝えました。その後、必死になって練習して弾けるようになりました。自分で決めてそうしていたからこそ、納得して頑張れたのだと思います」

子どもとはいえ、一人の人間。時には距離感を保ちながら見守り、子どもと接していくといいのではないかと吉元さんは言います。

「よく、どうしたら子どもの才能を伸ばせますかと聞かれますが、才能のない子どもはいないんです。ただ才能より『こうなってほしい』という親の理想が先走ると、子どもの才能を見逃すことになりかねません」

子どもが好きなこと、熱中することを、その取り組み方から観察し、それを伸ばしていくようにするといいと吉元さんは言います。

「子どもと一緒にいられる時間は、瞬く間です。一緒にいる時間を大切に、抱きしめるように過ごしてください」と吉元さん。そうした時間がまた、子どもの非認知能力を高めていくことになりそうです。

プロフィール

吉元由美(よしもと・ゆみ)
広告代理店勤務の後、1984年作詞家デビュー。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、ミリオンヒットとなった平原綾香の『Jupiter』など、多くのアーティストの作品を手掛ける。エッセイストとして著書に『読むだけでたくさん「奇跡」が起こる本』(三笠書房)、『あなたの毎日が「幸せ」でいっぱいになる本』(PHP研究所)、『みんなつながっているージュピターが教えてくれたこと』(小学館)など多数。また東宝ミュージカル『RENT』では訳詞を担当し、2012年二度目の再演、2017年に4度目の上演。Webマガジン「grape」で連載中。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFEARTIST」プロジェクトを発信。少人数制のサロンセミナーや、「言葉のコンサート」というタイトルで音楽鑑賞、社会貢献などさまざまなイベントも手掛けている。

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