世界を切り開くのは非認知能力の高い「問いを設定できる人」ARTICLE
塩瀬隆之准教授 「非認知能力は『伸ばすぞ!』と高められるものではない」
「手を出さず、口を出さず、されど目を離さない」
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ダヴィンチマスターズ(以下、──)
「好奇心と創造性を埋没させない見守り方」をテーマに決めた最大の理由は何でしょうか? -
塩瀬隆之先生(以下、敬称略)
最近、「子どもたちに好奇心がない」「モチベーションがない」という先生方からの相談が増えているのですが、そんなことはないと信じているからです。むしろ、親や先生など周りがそのつもりはなくても結果として「邪魔」をしてしまっているのではないか──そう感じることがあります。親も先生も、子どもへの愛は当然あるのですが、良かれと思って先回りしていることが結果として「邪魔」してしまうことがあるのです。子どもはその子なりに好奇心を発揮し、興味を持つ手順があります。でも大人はそれが待てない。3時までに家に帰らないと、5時からお稽古ごとが……などと考え、子どもたちの目が何をとらえているかよりも、時計の針を見てしまう時間が長くなっていないでしょうか。
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──失敗しないように、こうしたほうが早いよというような「転ばぬ先の杖」を与えてしまうわけですね。
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塩瀬
「手を出さず、口を出さず、されど目を離さない」ことが大事です。ところが保護者の方に「手を出さずに我慢してください」とお話をすると、「じゃあ、私は関係ないということですね」と、半ば放り投げるように目も離してしまう場合がある。でもそれはしてほしくない。子ども自身は承認欲求が強く、親に見ていてほしい……子どもの中で何かを見つけた瞬間、自分の中で何かが変わった瞬間、パッと振り向くことがありますが、その瞬間こそお母さんに見ていてもらいたいわけですね。ところが今はその時間が待てずにいる。
手を出して、口を出して、さらに目を離してしまう。
この「見ていない状態」の真逆をいかにつくれるか、子どもには好奇心と創造性があると信じて、それを「埋没させない見守り方」をするためのポイントこそが大切ではないかと思っています。
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──好奇心と創造性は、学力と関係すると思われますか?
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塩瀬
私は様々な学校で講演する機会をいただいていますが、いわゆる偏差値の高い低いの違いは、子どもたちと接していてもあまり感じず、むしろ周りの大人が諦めている度合いの違いのように見えることがあります。ある学校で講演する際、先生からあらかじめ受けた説明は「うちの生徒たちは話が聞けない。失礼を多くするかもしれませんがゆるしてやってください」というものでした。しかし、実際はどの生徒さんも講演を楽しんで聞いてくれました。
生徒に聞く力がないのだとすれば、それは面白くない話でも聞いているふりをする力に差があるのかも知れず、面白い話であれば誰でも聞けるのではないかと思います。
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──学習指導要領のせいで教えたいことを教えることができない、という声を聞くこともあるそうですね。
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塩瀬
実際に、中央教育審議会の分科会で学習指導要領の改訂に一部携わる機会をいただいたときに、学習指導要領の前文には、今の時代をとらえたとても大切なことがよくまとめられていることが分かりました。いくつかの県の教育委員会でお話をする機会をいただくと、新しい前文を読んでない方もいましたし、「いまいち意味が分からなかったがようやく腑に落ちた」とおっしゃってくださる先生もいました。
「平成29・30年改訂学習指導要領」のなかで大きいのは「高大接続改革」による「大学入学共通テスト」の導入です。大学入試センターのサイトでは「平成29・30年度試行調査(プレテスト)」が誰でもダウンロードできるようになっていますが、私はこれを、先生方にも保護者の方にも一度解いてみてもらいたいと思っています。
解いて何点取れるかを確認したいのではなく、「このテストで何を問われているのか」を知ってほしいのです。子どもたちが何を問われようとしているのかも知らずに、ただ大学合格を目指すように発破をかけることが問題だと思っているのです。
共通テストの論争が落ち着いてから解いてみようという方もおられるかもしれません。しかし、最終的なテストはいろいろな策の結果で収束していきますから、むしろ試行テストの方が本当は試したいと思っている学力について、チャレンジングな問題がたくさん含まれています。長文の問題分を読み込ませようとしていたり、安易な消去法を退けるような出題形式を取っているなどです。
基調講演より
子どもは極めて論理的
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──「良い大学」への合格を目指すと「とりあえず受験塾へ」となりがちですが、問われているのは点数の高さではないと……。
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塩瀬
受験塾にお任せして子どもの学力が伸びれば伸びるほど、子どもと大人の距離が遠ざかってしまうと思います。受験塾にお任せしていても、任せっぱなしではない、つまり親に主体性があればまだいいんです。でも「勉強が好きですか」と聞かれとき、親御さんの中には目を背けてしまう方もいらっしゃるかもしれませんよね。しかし、親御さんが目を背けてしまったら、子どもも同じように背けてしまっても仕方がないと思うのです。
例えるなら、おいしいケーキの食べ方と同じです。親御さんがおいしそうにケーキを食べていたら子どもも一緒になって食べたいと駆け寄ってきますが、嫌々食べていたら当然、食べたいと近寄ってはきませんよね。
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──とはいえ低学年の場合、「手を出さず、口を出さず、目を離さない」と聞くと、どこまでも待たないといけないのかと思ってしまいます。
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塩瀬
これまでの講演でも、未就学児の親御さんからの質問で一番多いのが、「待てとおっしゃいますが、いつまで待てばいいんですか?」という質問です(笑)。例えば、子どもを公園に連れて行って「3時になったら帰りましょうね」と約束をしたところ、2時45分ごろにお子さんが「もう帰る」と言い出したとします。そのときお母さんは、「3時までは遊んでいいわよ」と優しく声をかけるのですが、いざ3時に差し掛かったとき、子どもが次の遊びに夢中になってしまっている場合を考えてみてください。当然、「3時って約束したからもう帰るわよ!!」という親と、「嫌だ、もっと遊ぶ」という子どもの不毛なやりとりになってしまう。
「だったら、いつまで待てばいいのですか?4時ですか、5時ですか?」と詰め寄りたくなるかもしれません。
でも子どもを見ていれば、2時45分にテンションが下がったときが帰宅どきだったのですよね。3時という時間の約束は子どもにとってはあまり意味がありません。時計の針を見て自分の気持ちを調整しているわけではない子どもにとっては何の意味もないからです。
親御さんに見てもらいたいのは時計の針ではなく、子どもたちの目です。夢中になっている目と、休憩中の目とを見分け、その子どもの都合の中に大人の都合を当てはめればよいのです。ここで言う「待つ」というのは、この優先順位の逆転です。
晩御飯の準備があるし、その前に買い物にもいかなければいけないし……という大人の都合は子どもには見えていません。約束したのに守れないと「うちの子はわがままでいうことを聞かない」と思ってしまうかもしれませんが、実は子どもは極めて論理的です。
子どもの中の見えている世界で、順番に論理を組み立てていて、この手順で次にこれをしようということを子どもの論理で決めています。一方、大人は別の論理で物事を進めるわけですから、ズレてしまい、腹立たしさが生じるのです。
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──耳が痛いですね。「なぜ分かってくれないの?」とつい思ってしまいますが、そもそも説明していないし、逆に大人の都合に合わさせている面はありますね。
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塩瀬
例えば、「どうして宿題しないの!?」と子どもについ怒鳴ってしまうようなことがあると思います。しかし、これはまったくもって理由は聞いてないわけですよね。逆に、「やりたくないし、面白くないし、これをやっても意味がないと思うからやらない」と単刀直入に本当の理由を説明されたとしたら、もっと腹が立つかも知れません。「いいから宿題やりなさい!」と。「どうして」は聞く気があっての「問いかけ」ではなく、「いや、○○すべきだ」という反語であることが多いのです。
結局今は、見守り方も与え方もズレていて、子どもの好奇心やモチベーションを全て抑え込んでしまったうえで、「創造性を出しなさい」と言っている状態です。学校でも、先生たちが知識を詰め込んで詰め込んで、6時間みっちり授業をしたうえで最後の最後にホームルームで「創造性を出しなさい」と言っているようなものなのです。
課題解決の前に、課題発見が大事な時代
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──見守り方も与え方も、変えていく必要がありますが、なにより大人自身が古い価値観にとらわれず、変わっていかなければならないように思えます。
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塩瀬
「学び直し」はポイントになると思います。ただ、「学び続けなければいけない」と思っているようでは、すでに力としては弱いんです。学ぶことの面白さを知っていれば、止められても学びます。つまり、「ケーキを食べなければならない」と思って食べている人は、そうそういませんよね。学びをケーキの横に並べられるかどうかが重要で、やりたくないことに入ると「学ばなければならない」と考えてしまいます。
ただし、学びの機会はある程度は親が提供する必要はあります。親が自分でわが子に向いている学びの場所を選べるかどうかが重要なのです。まさに見ていないと分からない。塾や習い事にお任せしているだけだと分からないのです。
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──これまでの日本では課題がすでにあって、それが解ける人が優秀だと評価されてきましたが、この先は、問題を定義できる人、問いを設定できる人がこれからの世界を切り開いていくという指摘もあります。
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塩瀬
これから活躍するのは、そういう人でしょう。アインシュタインが残したとされる言葉の中に次のような言葉があるそうです。「地球を救うために1時間の時間を与えられたとしたら、私は59分を問題の定義に使い、1分を解決策の策定に使うだろう(“If I were given one hour to save the planet, I would spend 59 minutes defining the problem and one minute resolving it.”)」つまり、課題解決の前に課題発見が大事なのです。何をすべきかを考えることが一番大切なのですが、日本の学校は解決の方法を覚える練習時間が長い。ともすれば、60分全部を解決方法の習得に充ててしまい、問題は誰かから与えられるという前提で物事が進められているわけです。
それが今やっと、課題解決の前に、課題発見が大事だと言われはじめて、1%ほどの時間が、課題発見に使われるようになったところでしょう。学習指導要領の改訂をはじめとする学びの改革は、端的にこの課題発見の力をもっと伸ばしたいという要請によるものです。
課題発見の力はどう身につけるのか
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──課題を自分で定義する力はどう身に付けていけばよいでしょうか。
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塩瀬
回数ですよね。訓練すれば誰でもできるようになります。子どもはみんな、日々発見しています。しかし発見が褒められる機会は少なく、解決したときに褒められることが多いのです。一緒に歩いているときに、コンクリートのすき間にたんぽぽを見つけるかもしれません。それが子どもにとっては発見なんです。親はその時に、「何しているの、速くしなさい」と急かすのではなく、「本当だね、良く見つけたね」と目線を子どもの高さにまで下げないと、一緒に見つけることができません。
発見は親子で一緒に楽しめれば十分です。無理に答えを出そうとせず、大人が子どもよりも知っていなければならないという決まりはありません。ダンゴムシの足が何本あるかとか、そんなことは知らなくてもよくて、「いっぱいあるね」の一言だけでも十分です。課題は日常に溢れています。
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──課題を自分で定義する力は、非認知能力を高めることにも通じるかと思いますが、そのために低学年のうちにこれだけは毎日しておいたほうがいいということを、教えていただけますか。
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塩瀬
「身構えないこと」でしょうか。非認知能力は「伸ばすぞ」と言って伸ばせるものではありません。むしろ認知能力を伸ばすための勉強ばかりをし過ぎていたら「勉強し過ぎ」と注意するくらいでしょうか。
米国の哲学者、ロバート・フルガムは、『人生に大切なことはすべて幼稚園の砂場で学んだ』という本の中で、「毎日、少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、歌い、踊り、遊び、そして少し働くこと」が大切だということを話しています。
全部少しずつでいいんです。宿題も、全部できない日もあっていいんです。できなかったら先生に「できませんでした」と報告すればいいのです。やらなければならないわけではないんです。人それぞれ学び方が違うのですから、できる人はしなくていいし、できない人はできるまでやればいい。全員が同じ宿題をやるということそのものが、すでに思考停止の始まりですから。