問いを作る力は、人生を設計する力になる──京都大学・塩瀬隆之先生の講座よりARTICLE

ダヴィンチマスターズのイベントに参加する小学生は、まだ「人生設計」について考える時期ではないかもしれません。でも、第3のニューノーマルともいわれる「withコロナ時代のニューノーマル(新常態)」が声高に叫ばれる今、親世代は働き方、あるいは人生を見直すことも多いのではないでしょうか。

そんな中、社会が変わるコミュニケーションの場づくりを数多く実践されている京都大学総合博物館 准教授 塩瀬隆之先生が、宇宙飛行士 山崎直子さんを対話相手に迎え、「中高生の人生設計講座」をオンラインで開催。『問いのデザイン 創造的対話のファシリテーション』(安斎勇樹・塩瀬隆之/著)を上梓された塩瀬先生ならではの「問い」は、「子どもたち自身が考える」きっかけとして、どんな問いかけをしたらいいかのヒントにもなりそうです。

この講座の一部を、特別にお届けします。
※取材協力:ナレッジキャピタル

将来のことを考える日にしてほしい(塩瀬先生)

企業人、研究者、クリエイターから一般生活者までが交流し、新しい価値を生み出すナレッジキャピタルが開業7周年を迎え、今までの活動から生み出した新施設「SpringX」を開設しました。この施設利用開始に先駆けて、オンラインで学び、交流できるプログラム「バーチャルSpringX」が開始。「中高生の人生設計講座」はそのプログラムの一つとして2020年5月30日に開催されました。

京都大学総合博物館 准教授 塩瀬隆之先生は冒頭、「人生設計は何度、考えてもいいんです」と一言。

「宇宙飛行士の山崎直子さんをこのオンライン講座にお迎えしますが、皆さんは宇宙自体に興味を持っても持たなくてもかまいません。ただそういう難しい仕事に向かっていった山崎さんの背中を見て、将来のことを考える日にしてほしいと思っています」(塩瀬先生)

何しろ将来の予測が難しい昨今。今から5年前の文部科学省提出資料によれば、次のように予測されています。

「今後10~20年程度で、アメリカの総雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高い」

(当時はオックスフォード大学准教授、現在は英オックスフォード大学機械学習教授のマイケル・A・オズボーン氏)

「2011年度にアメリカの小学校に入学した子供たちの65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」

(当時ニューヨーク市立大学教授、現在は同大学院センター教授のキャシー・デビッドソン氏)

これはなにも、アメリカに限った話ではなく、実際、今の大学生が就職したい企業は、20年前とは全く違っているでしょう。

では、小学生の子どもたちの、あこがれの職業はどうなのでしょう?

例えば2020年4月にクラレ(東京・千代田区)が小学校に入学する子どもとその親を対象に実施した「将来就きたい職業」「就かせたい職業」のアンケートによれば、女の子は1位「ケーキ屋・パン屋」、2位「芸能人・歌手・モデル」、3位「看護師」で、他に「保育士」「医師」「教員」「警察官」といった専門性と安定感を想起させる職業が人気を得ているといいます。

一方同じアンケートで、男の子は1位「スポーツ選手」、2位「警察官」、3位「運転士・運転手」となんとなく想像がつくものが多いものの、2016年にランキングに入るようになった「ユーチューバー」が初のトップ10入り、「宇宙関係」(宇宙飛行士など)も過去最高の11位となったそう。

自分たちが子どものころと比較して、全く違うなと感じているようであれば、おそらく、その変化は今後も続くものと考えられます。職業そのものが、あるいは社会そのものが急速に変わりゆく世の中で、子どもたちに求められるのは、何度も考え、何度もつまずく力ではないでしょうか。だからこそ自分で考え答えを出していけるように、非認知能力を高めてあげる体験が重要で、塩瀬先生は「何度も考えるためにも、たくさんの大人と話してもらいたい。そして自分で決めたら、それを、あきらめないで突き詰めていってもらいたいとも考えています」と言います。

塩瀬先生はキャリア教育の講演を中高生だけでなく、小学生自身にもさらには幼稚園の保護者向けにも話されることがあるそうです。しかもその内容はほとんど変更することなく、内容は首尾一貫しているといい、1年のうちにたった5日間だけ職業体験することがキャリア教育ではなくて、どんなふうに生きていくかをもっとたくさん考える日をもつことが大切だとお考えです。

「特に今年のコロナ禍では、周囲の大人たちも忙しく不安で先行き不透明な中で子どもたちが将来を考える上での対話相手になる余裕がなく、とても難しかったように思います。たったの1時間で何かを変える力にまではならないかもしれませんが、この対談がご家族で将来のことを考えるきっかけにしていただければ幸いです。それはたとえ小学生でも、幼稚園でも、ぜひご家族で考え始めるきっかけにしてください」(塩瀬先生)。

さてここからは、塩瀬先生と山崎さんの対話を見ていきましょう(※ダヴィンチマスターズで一部編集してお届けしています)。

宇宙で恐怖心を感じる暇もないほど非常事態への訓練が行われる

京都大学総合博物館 准教授 塩瀬隆之先生(以下、敬称略)
宇宙飛行士は外出自粛のプロではないかと思うのですが(笑)、宇宙空間にいるときに、外に出たいという気持ちにはなりませんでしたか?

宇宙飛行士 山崎直子さん(以下、敬称略)
さすがに出られないこと自体がわかっていますからそれはないのですが、四六時中同じ人といると、気分転換したい気持ちにはなりますよね。窓から地球を見るのが一番の気分転換で、見飽きることがありませんでした。あとは、食事の時間が本当に楽しみで、夕食はみんなで食べるようにしていました。

塩瀬
宇宙までは地球からどれくらいで到達するのでしょう?

山崎
8分30秒ですね。拍子抜けするくらい早く着きます。

塩瀬
宇宙についたことがすぐにわかるものですか? 地球に戻ってきたことは、重力でわかるものですか?

山崎
宇宙に到達すると、その瞬間から急激に「宇宙空間にいる」ことを実感しますが、帰還するときは徐々に、重力を感じるようになります。だんだんと手を挙げるのが重くなってくるんですね。地上に帰還してから1~2時間は歩くのもふらふらしていたと思います。

塩瀬
宇宙へと飛び立つときも、地球に戻るときも、恐怖心はないのですか? ワクワクする気持ちのほうが勝つものですか?

山崎
宇宙船は事故のリスクがあり、宇宙飛行士や関係者はそれをよくわかったうえで、訓練しているのだと思います。
私自身は11年間、訓練をしてから実際に宇宙に出たのですが、訓練のほとんどは非常時対応ばかりなんです。怖いと考えるよりも、目まぐるしく、これが起こったらこうしようという、対応策を考えるようになります。

塩瀬
(視聴者から)文系でもなれますか、という質問がありましたがいかがでしょうか。

山崎
現状の募集要項では自然科学系、理系の大学を出ていることと、そのあと3年間働いた経験があることが条件になっています。でも、この条件は時代とともにどんどん変わります。昔は裸眼視力が問われましたが現在はメガネやコンタクトレンズでの矯正視力が認められていますから。私自身は、いろんな方が宇宙で働けるようになってほしいと思っています。

塩瀬
ところで、山崎さんがお仕事をされた国際宇宙ステーションではたくさんの国の方がご一緒されると思いますが、何語でお話しされてましたか?

山崎
国際宇宙ステーションは15カ国が協力していて、公用語は英語でした。ただ、ロシア語も訓練は必須で、国際宇宙ステーションで万が一のことがあったときに、ソユーズというロシアの宇宙船の協力を仰ぐことがあるのですが、その場合、地上管制官がロシア語のみに対応している可能性がありますので。

当日はオンラインで講座が行われました(写真提供:ナレッジキャピタル)

中学生のころは、ディズニーランドのスタッフになりたかった!?

塩瀬
山崎さんが宇宙飛行士を志すようになったきっかけは何でしょうか?

山崎
もともと小学生のころから星を見ることは好きでした。『宇宙戦艦ヤマト』というアニメがあって、「宇宙に行きたい」というよりは、「大人になったらみんな宇宙に行くのだろうな」と思うくらいの小学生でした。でも当時、日本人の宇宙飛行士がいなかったこともあり、宇宙飛行士を目指すという発想はありませんでした。
中学生になってからは、学校の先生になろうと思っていたのですが、そんなとき、スペースシャトル「チャレンジャー号」の打ち上げの様子をテレビで見たのです。チャレンジャー号は、事故が起きた宇宙船です。当時の宇宙飛行士の中に、学校の先生がいて、宇宙から授業がしたいと語っていたことを知り、自分の中で、職業としてつながりを感じるようになりました。

塩瀬
中学生のころ、ディズニーランドのスタッフになりたいと思っていたとも聞きました。

山崎
私が中学生のときに、ディズニーランドがオープンして、スペースマウンテンがかっこいいなと思いまして。

塩瀬
スペースマウンテンのスタッフに憧れていたらスペースシャトルに乗ってしまったと!
でも職業として認識してからも、どうやって宇宙飛行士になったらいいか、当時は情報が少なかったような気がします。例えば、大学にも宇宙飛行士学部はないですし。どのように、進路を決めたのでしょう。

山崎
確かに私が中学生のころは、詳しくはわかりませんでしたね。実際には私はエンジニアの経験があり、私より前に宇宙飛行士になられた向井千秋さんは医師でいらっしゃいましたが、私がエンジニアになったのは、まずは宇宙開発に携われたらいいなという気持ちがあったからです。

塩瀬
中学生の時点では、エンジニアになろうと決めていたわけではないですよね。

山崎
そうですね。中学生のころは外国への憧れがあり、アメリカに住む女の子と文通していたこともあったので、いつか留学したい、海外で働いてみたいという気持ちを持っていました。だから高校進学の際には、国際機関で働く、あるいは通訳になる、外交官になるといったイメージから、文系にも興味を持ちましたが、チャレンジャー号のことや、子どものときに星が好きだったことを思いだしたりして、「宇宙」に関わる職業を考えるようになったと思います。

異文化の中で活動していくという意識をするといい(山崎さん)

塩瀬
中高生のころに、苦手科目はありましたか?

山崎
好きだったのは、数学と物理。でも暗記が必要な生物や歴史はやや苦手でした。

塩瀬
宇宙飛行士になってから中高生のころに数学や物理を勉強していてよかったなと思うようになりましたか?

山崎
そうですね。例えば宇宙船を設計するには数学を使いますし、物理も軌道の速度の計算に使います。勉強したことは仕事上、つながってくると思います。
しかも苦手だった生物も、動植物のことも学んでいくため、必要なんです。だから大人になってから学び直しました。歴史も一見、関係なさそうに思いますが、いろんな国を巡って訓練していくので、やはり高校の教科書を引っ張り出してきたりしていましたね。

塩瀬
では勉強以外に、中高生のうちにどんな体験をしておくと、宇宙飛行士向きの力が付くと思いますか?

山崎
何か一つ、「専門性」と呼べる、得意なことや好きなことを持っていると強みになり、それが宇宙飛行士として、チームに貢献できる力になると思います。
ですので中高生のうちからアンテナを張り、本を読んだり体験したりして、専門性を身につけるきっかけを作ることができればいいのではないかと思います。
また、多様な国の人と訓練をしていきますので、日本以外の国に目を向けておくといいでしょう。他国の人と何か活動をする経験、異文化の中で活動していくという意識をしているといいと思います。

塩瀬
今は、親世代も宇宙飛行士への理解が進んだと思いますが、山崎さんが中学生のころはどうだったのでしょう? 親御さんは、山崎さんが宇宙飛行士になりたいとおっしゃったとき、どのように支えてくださいましたか?

山崎
宇宙飛行士を目指したのは大学卒業後なので、子どものころの話で言えば、星が好きだった私をプラネタリウムに連れて行ってくれたり、宇宙にまつわる新聞記事を見せてくれたりしていました。
一方で大学時代に海外留学をするといったときだけは猛反対されて、1年くらいかけて説得し、どうにか認めてもらえたくらい。心配だったのだと思います。
ただ、留学時に免疫が付いたのか、宇宙飛行士に応募すると伝えても「そうなんだ」と簡単にコメントされるだけだったのが印象的でした。

塩瀬
そうなんですね。合格するまではどうでしたか?

山崎
1度目に応募したときは、書類審査の段階で不合格で、2度目で審査に進むことができました。ただ、海外では5度目、6度目で審査に進んだという方もいます。
もし、みなさんが目指すのであれば、あきらめず、自分自身が成長すれば宇宙飛行士になるチャンスがあるので、ぜひ挑戦してもらいたいと思います。

問いを作れるようになることは、自分の人生を設計するうえで力になる

塩瀬
とはいえ、落ちれば挫折しますよね? あるいは、山崎さんは宇宙飛行士選抜から宇宙に飛び立つまでに11年、かかっていらっしゃる。落ち込むこともあったのではないかと思います。そのときに、乗り越えられたきっかけや理由があれば教えていただけますか?

山崎
例えるなら、船に乗っている状態と言いますか……目の前のアップダウンばかりを見ていると、船酔いしてしまうので遠くの水平線を見ることを忘れないことではないかと思います。多少のアップダウンは気にせずに。人生にアップダウンはつきもので、自分ではどうしようもないことが多く起きます。例えば、今の状況もそうですよね。
そんなときには、目の前のことを楽しみながら、一歩一歩やっていくことだと思います。そのときの原動力は、意外と、子どものときにこんなことが好きだったなという体験です。
だから、学生のみなさんは、「楽しい」「好きだ」という引き出しをたくさん持てるといいのではないかと思います。

塩瀬
アメリカでは民間企業による宇宙旅行も計画されています。宇宙飛行士になるという夢のかなえ方も変わってきますよね。

山崎
そうなんです。今後は宇宙旅行者が増え、宇宙飛行士という言葉がなくなり、宇宙の料理人、先生などが出てくるのかなと思います。
ところで今日はたくさんの問いをいただきましたが、塩瀬先生はなぜ、今のテーマに取り組んでいるのでしょう? 将来を考えるうえで、「問い」とはなんでしょうか?

塩瀬
問いがテーマのこの機会に、いい問いをありがとうございます(笑)。
もともと僕は、ロボットを研究したいと思い、コミュニケーションロボットの研究を始めました。ただ、人と話すためのロボットの研究において、「質問に答える」ものは、例えば人間が機械にわかるように質問することでインターネットで検索して答えるというスマートスピーカーなどがあることから、可能となりましたが、一方で「質問をする」ロボットの開発は非常に難しいことがわかりました。
そこで思ったのが、ミヒャエル・エンデの『モモ』のように、聞いてるだけでガラリと変わってくる、問うことで変わることの大事さだったんです。
だから、問いを作れるといいなと思い、結果として「問いをデザインする」ことを伝えたいと思いました。
問いを作れるようになることは、自分の人生を設計するうえで力になるのではないかと思います。
皆さんも、ときにもんもんとしながら、自分の中での道を何度でも修正しながら、進んでいただければと思います。

プロフィール

山崎直子(やまざき・なおこ)
1970年、千葉県松戸市生まれ。2010年スペースシャトル・ディスカバリー号に搭乗し、国際宇宙ステーション(ISS)組立補給ミッションSTS-131に従事。2011年に宇宙航空研究開発機構(JAXA)退職後、内閣府宇宙政策委員会委員、一般社団法人スペースポートジャパン代表理事、日本ロケット協会理事・「宙女」委員長、日本宇宙少年団(YAC)アドバイザー、宙ツーリズム推進協議会理事などを務める。著書に『宇宙飛行士になる勉強法』(中央公論新社)など。

プロフィール

塩瀬隆之(しおせ・たかゆき)
京都大学総合博物館 准教授
京都大学工学部精密工学科卒業、同大学院修了。博士(工学)。京都大学総合博物館准教授を経て2012年 6月退職。同7月より経済産業省産業技術環境局産業技術政策課技術戦略担当課長補佐。2014年7月京都大学総合博物館准教授に復職。共著書に、『科学技術Xの謎』『インクルーシブデザイン』など。日本科学未来館“おや?“っこひろば 総合監修者。NHK Eテレ「カガクノミカタ」番組制作委員。中央教育審議会初等中等教育分科会「高等学校の数学・理科にわたる探究的科目の在り方に関する特別チーム」専門委員。平成29年度文部科学大臣賞(科学技術分野の理解増進)受賞。経済産業省産業構造審議会イノベーション小委員会委員ならびに若手WG座長。令和2年度大阪・関西万博日本館基本構想ワークショップ有識者。
『問いのデザイン 創造的対話のファシリテーション』(安斎勇樹・塩瀬隆之/著)が発売された。

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