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自然体験は子どもの学習能力を高めるからこそ親も一緒に体験を(後編)
2018/07/24

学習院大学文学部教育学科教授 飯沼慶一先生講演

第6回ダヴィンチ☆マスターズで科学コンテンツ「暗号を解いて、宝を探し出せ!」を提供してくださった学習院大学文学部教育学科教授 飯沼慶一先生は現在、大学で小学校の教員を目指す学生を教えています。今回は子どもたちがコンテンツを楽しむあいだに、保護者向けに「小学生の行動特徴と親のかかわり方」をテーマに講演会を行っていただきました。

その公演の内容を前後編でお届けします。後編は、自然体験について中心にお話しいただきました。

 

 

異性の子どもを「恋人を見るような目」で見てしまう

小学校低学年の子どもたちの親御さんには、「少し待つ」ことができるかどうかが大切です。子どもはそろそろ自立していく頃なのですが、例えば一輪車の練習をしていてお子様が転んだとなると、たとえ自分がほかの人と話していても、すぐに声をかけにそして助けに行きたくなるでしょう。けれど、少し待ってみてください。30秒も待つと、「いたっ」と言いながらも立ち上がり、また練習を始めるものです。もしそこですぐに親が駆けよれば、甘えてしまいます。

親としては難しいかもしれません。でも、努力目標としてやっていただきたいと思います。特に男の子を持つお母さん、女の子を持つお父さんに。

親を見ていると、「同性の子どもは自分が歩んできた道と近いものがあるからすごく理解しやすい」のですが、「異性の子どもは何を考えているのか分からないので心配で仕方ない」と言う方が多いです。特に第一子やひとりっ子、年の離れた下の子などで、この傾向が顕著にみられます。男の子の顕著なケースは、母親は「まるで恋人を見るような目」で息子に熱い視線を送っていらっしゃいますね。

ま、かわいい我が子ですから仕方ない・よくあることのですが、男の子は必ず子離れしていくものですので、去るときは追わないでください。去るときに追えばどんどん逃げていきます。でも我慢していれば戻ってきます。

女の子のお父さんは、今のうちですよ!そのうち「臭い!」などと言われるかもしれません。ただ僕がよく言うのは初潮が始まるのがだいたい5年生あたりで、早い子でも3年生ぐらいですので、臭いとか嫌いとか言われる前に、お母さん抜きの2人で宿泊を伴う旅行に行ってみてもらいたいですね。そこで2人の思い出をしっかり作っておくと、成長したときに絶対に糧になると思います。

とはいえ、基本的には親子でも一人一人は違う人間です。理解不能なところはあって当然。これからは、「赤ちゃん」「子ども」ではなく、ちゃんと1対1の人間として付き合っていくことが大切です。

 

 

体験は、そばにいる大人が一緒にする必要がある

 

最後に、僕の専門のほうの話をしておきます。

皆さんは子どもたちの自然体験は必要だと思いますか? もし必要だと思うのであれば、それはなぜでしょうか。

一方、文部科学省の調査によれば、子どもの自然体験は今、すごく減ってきている。海や川で泳いだことがある子どもは最高でも5割ちょっと。キャンプをしたことがある人も27~28パーセント程度にとどまります。

そんな中、文科省の調査では、自然体験が少ない子どもほど、学習意欲が低い、理科の成績が悪いなどの統計結果が出ています。

『沈黙の春』で環境問題の恐ろしさを提起したレイチェル・カーソンは生前書いた最後の本『センス・オブ・ワンダー』の中で、子ども時代には誰でもが持っている、「自然の神秘さや不思議さに目を見はる感性=センス・オブ・ワンダー」を持ち続けることの大切さを書いています。人工的なものが多い世界の中で、このセンス・オブ・ワンダーはだんだん失われてしまっています。しかしこの子どもたちに生まれつき備わっている子どものセンス・オブ・ワンダーを、いつまでも新鮮に保ち続けるためには、私たちが住んでいる世界で「喜び、感激、神秘などを子どもと一緒に再発見し、感動を分かち合ってくれる大人」が少なくとも1人はそばにいる必要があることだと説きました。

つまり、子どもにただ自然体験をさせておけばよいということではないということです。そばにいる大人がある程度しっかり関わったり、一緒に感動したりすることが大切です。つまり、親は、子どもと共に自然を体験し・一緒に感動し・一緒に発見するということが、本当は一番大切だと思います。

 


親も一緒に感動し、楽しむチャンスに

もう一つ大切なのは、『足もとの自然から始めよう(原題:Ecophobia)』という書籍の中でデイヴィド・ソベル氏が書いていることですが、「地球が危ない」「自然が破壊されている」などとマイナスな情報ばかり大人が唱えていると、子どもたちの自然へとつながろうとする芽を吹き飛ばしてしまうということです。これがエコ・フォビア(自然恐怖症)です。

算数嫌いと一緒で、「あなたは計算間違いばかりする」と言われたら、もう数字を見るのも嫌いになりますよね。マス・フォビア(算数嫌い)と同じです。

そこでデイヴィド・ソベル氏は10歳まではまず楽しく学んだり楽しく取り組んだりすることが大切だと提唱しています。特に小学校低学年の子どもたちは、やはり楽しいところから入り、「嫌いにならないこと」「怖いと思わせないこと」が大切なのではないかと思います。

子どもは土があれば泥団子を作る。木があれば登ります。これは男女関係なく、危ないところにも行くものです。その危険をどこまでOKにするか。ただ、ある程度、危険なことを経験させなければ、自分で危険を察知できるようにはなりません。

それが先ほども申し上げたように、「どこまで見守れるか、どこまでできるか」です。最悪の事態にならないように、見守る側にも力が必要です。

もし、これまでご自身が自然体験や危険な体験をあまりやってこなかったという方は、これから子どもと共にもう一回、最初から体験できるということを、「喜び」と捉えてほしいと思います。人が作ったものは何もしなくても使えるものが多いけれど、自然のものは自分で工夫しなければ遊べない、少し難しいことを自分の手や体を使ってようやく遊べるという面があると思います。そうした体験が子どもにとって重要なのではないでしょうか。

体験教室にただ子どもをほうり込んで任せきりにするのではなく、子どもとともに一緒に感動して一緒に考えてみてください。

 

<プロフィール>

 

飯沼慶一(いいぬま・けいいち)

私立成城学園初等学校で小学校教員を23年務めた後、2013年度より学習院大学文学部教育学科教授 専門は環境教育 著書に、「学校環境教育論」(共著、筑波書房2010)、「せいかつ上 みんななかよし」「せいかつ下 なかよしひろがれ」(生活科教科書・指導書、共著、教育出版2012)「ワクワク!ドキドキ!おもしろ実験室」(共著、成城学園初等学校出版部2009)など。

うちの子は幼い? 小学生の行動特徴と親のかかわり方 前編
2018/07/10

 

学習院大学文学部教育学科教授 飯沼慶一先生講演

 

第6回ダヴィンチ☆マスターズで科学コンテンツ「暗号を解いて、宝を探し出せ!」を提供してくださった学習院大学文学部教育学科教授 飯沼慶一先生は現在、大学で小学校の教員を目指す学生を教えています。今回は子どもたちがコンテンツを楽しむあいだに、保護者向けに「小学生の行動特徴と親のかかわり方」をテーマに講演会を行っていただきました。

その公演の内容を前後編でお届けします。前編は、低学年の子どもの行動特徴をお届けします。

 

小学校低学年の子どもは自分中心

 

 

僕は23年間の小学校教員の後、学習院大学文学部教育学科で教え始めました。現在6年目。その経験、そして専門である環境教育の話を交えながら、お話をしたいと思います。

 

小学校低学年の子どもは、自分中心という特徴があります。まだ幼児的な思考や行動が多く、例えば夜は母親と一緒に寝たいという欲求があったり、ままごと遊びや積み木遊び、ごっこ遊び、人形遊びなど、自分を中心にして母親、父親、教師との1対1の遊びを好んだりする傾向があります。公園でお友達と会ったときに「友達と遊んでおいで」と言っても、親のそばを離れなかったり、学校や学童でも先生とばっかり遊んだり。これも、低学年の特徴です。

 

行動範囲も狭く、自分の家の周り、近所の公園などが主な遊び場です。

 

小学校に入学してからしばらくは、休み時間や遊びの時間に遊ぶのは教室中心。それがだんだん教室の周りに広がっていきます。グランドは高学年がいるので遠慮して出られなかったりするのですが、それでも1年生の1学期の終わりごろには、裏庭探検をはじめたりします。こうして学校の中での行動範囲が徐々に広がっていきます。

家での生活圏でもはじめは自分の家、家の周りですが、徐々に近所の公園などへと広がっていきます。

 

 

 

うちの子は幼い? と思いきやたいていは「そんなもの」

 

 

ただ、今の子どもたちはおもちゃやゲームが豊富なため、遊び場が家の中にとどまってしまっているケースが多くなっています。これは都会田舎関係なく全国共通で、時代の流れではあります。

 

とはいえ低学年の子どもそのものの特徴は変わりません。友達と仲良く遊んでいるようでも、よく見ると一人一人の気分や興味関心次第で行動していたり、こちらの友達と楽しそうに遊んでたのにパッと向こうの友達と遊ぶなど、友だち同士の結びつきが弱い傾向がある。それが大人から見ると、「うちの子は友達を大切にしなくて少しひどいのではないか」と思うかもしれません。でもそれは低学年という発達段階だからであって、そのうち3年生ぐらいからの「ギャング・エイジ」になると、友達をもっと大切にし、親より友達が大切となり親にとって悲しい(笑)方向になってくるものです

 

特に男の子のお母さんは「大丈夫かな。うちの子は幼いのでは」と思うことがあるかもしれませんが、成長の差はあれど、「そんなものだ」ととらえて気にしすぎる必要はないと思います。

 

 

親や教師の判断が絶対だからこそ、親も間違えたら「謝る」

 

低学年の子どもが、「だって先生が〇〇と言っていたから」「ママが××と言っていたから」とお友達や教師、親に意見する姿を見たことはありませんか?

 

この時期は自主的に判断して行動することが少なく、いちいち教師や母親に判断を仰ぎ、教師や母親から言われたことは絶対で、その言葉どおりにきちんと行動する傾向があります。担任教師の言葉によって学級が統一されていき、クラスメートとの話し合いで何かルールを決めていくというより、先生が「こうしたらどうかな」というと、それがクラスのルールのようになってしまう。ある意味、教師や母親の言いつけをよく守る時期なので、用事を頼めば喜んでやってくれます。

 

ということは、つまり、母親や教師の言葉掛けが大切だということになります。

 

ですから、あまりに判断や支持を求められて、「もう、うるさいな」という感じで親がいい加減に言ってしまったことも、子どもはそれが正しいことだと思ってしまう。だからその通りに行動する。でももし、それが間違ったことであれば、子どもの行動を叱るのではなく、自分自身を見返し、もし自分に間違いがあれば間違いを認めて子どもに対して謝ることが大切です。謝ることができる親に育てられると、謝ることができる子に育ちます。でも、謝ることができないない親に育てられると、謝ることができない子になってしまいます。

 

 

 

告げ口には自分の存在を認めてもらいたいという気持ちも

 

また、告げ口が多いのも低学年ならでは。

 

善悪の判断が「先生が言ったから」とか、「父母の言いつけだから守らなければならない」と考えていると、その守らなければならないと思っていることを破る子どものことを、悪いと考えて、告げ口してしまいます。でも、自分がその言いつけ通りにできているかというとそうではなく、それを追求すると、過去にあった他人の例を挙げて、自分の行動を正当化することもあります。

 

告げ口には自分の行動はさておき、他の人についての悪い行動を知らせることで、先生や母親とコミュニケーションを取りたい、話をしたい、自分の存在を認めてもらいたいという心理が働いていることも多いものです、ですから、告げ口をするという行為自体は、全てが悪いこととも言えないところもあります。

 

ただやたら告げ口が多い場合には、もしかしたら愛情不足という可能性もありますので、注意してみていただければと思います。

 

 

 

低学年の積極性、国際化するなか求められる資質

 

ただし、告げ口をうのみにしすぎないこと。子どもを信じるのは大切なことですが、自分の都合のいいように言う場合があることも念頭に置いて接していくことが大切だと思います。

 

授業中に顕著ですが、低学年の子ども、特に小学校1年生の「私を見て!」と言わんばかりに「はい! はい!」と活発に手を挙げます。これにはびっくりする親御さんも多いでしょう。しかしこれはすごく大切なことです。特に日本の子どもたちは小学校中学年になると手を挙げる子が少なくなってしまいます。高学年になったら数人しか手を上げない挙げないクラスも多いです。中学生になろうものなら、もう手は挙げずに寝ているみたいな。

 

ところが海外に行ってみると、自己主張がしっかりしていて何年生だろうとみんな手を挙げるのですよね。いずれ子どもたちは国際的なところに出ていくかもしれませんから、低学年のうちのこうした積極的な性質は、実はもっと伸ばしていかなければならないことなのかもしれません。そのためには挙手の時間をある程度丁寧に設けてしっかり聞いてあげることが大切なのではないかと思っています。

 

授業中に勢いよく挙手しても、当てられたら「ん?」と応えられなくなるというのは低学年によくあるパターンです。その理由は2通りあり、1つは「はい! はい!」と勢いよく挙手する間に答えを忘れてしまうとケース。もう一つは周りが「はい! はい!」と手を挙げていることにつられて挙手したものの、答えは考えられておらず、当てられてから考えるというパターンです。ただどちらの場合も、「答えを用意してから手を挙げなさい」というのではなく、「忘れちゃったよね」とか言いながらも、子どもの積極性をつぶさないようにしてもらいたいですね。

 

というのもこのような積極性はこれから先、特に国際化が進む中で必要性が高いのにも関わらず、日本人が一番弱い部分だと思います。

 

もしかしたら親御さんとしては積極性があり過ぎたら周りから目を付けられるのではないかとか、中学校に行ってから先輩にいじめられるのではないかと思うかもしれません。でも、意外に大丈夫なものなのです。中学生にもなると、状況判断ができるようにもなりますから。

 

 

表現力が十分ではない子どもの通訳者になる

 

それから低学年のうちは話し合いがうまくいかないというケースも多く見受けられます。

 

これは一語表現や助詞落ちなどがあり、自分の考えをきちんとした文の連続で分かりやすく相手に伝える表現力が不十分だからです。つたない話力で活発に相手と話し合おうとする意欲はあっても、うまく伝わらずトラブルに発展することも多いものです。

 

そこで教師や親は、ときにはインタープリター(通訳者)になる必要が出てきます。子どもがけんかをしているときなどに、〇〇ちゃんはどういうふうに思ったの? などと本人が表現しきれていないものを、代わりに言語化してあげることにはとても意味があります。そうすることで、子どもたちは自分の気持ちを表わす表現の仕方を学ぶ機会を得るわけです。

 

 

人のものを取る、暴力をふるうのは低学年ならよくあること!?

 

トラブルという点では、低学年の子どもの場合、「人の物を取る」「暴力」が往々にしてあるものです。これは、「あるもの」だと思ってください。ここでのポイントはそれを低学年の間に見逃さずに対応すること。見逃すと、ずっと続いてしまいます。ですから「物を取ること」「暴力をふるうこと」は絶対にダメだという意識を低学年のうちに持たせなければいけないでしょう。

 

低学年までの子どもは本当に単純なもので、取っても返して「ごめんね」と言えば、取られた子は「いいよ」と終わってしまうものです。でも高学年になるとそうはいかない。「あいつ取りやがって」としばらく……それどころか大人になっても引きずったりします。

 

だからこそ、低学年のうちにしっかり話し合って、子どもに本当にいけないことだと伝える。暴力も同じです。ですから、自分の子どもが物を取ったり暴力をふるったりということがあったら、厳しく教えましょう。ただし、他の子にあったときは、「そんなことも小さいときはあるよね」というような見方をして、ぜひ親は引きずらないようにしていただければと思います。

 

 

<プロフィール>

飯沼慶一(いいぬま・けいいち)

私立成城学園初等学校で小学校教員を23年務めた後、2013年度より学習院大学文学部教育学科教授 専門は環境教育 著書に、「学校環境教育論」(共著、筑波書房2010)、「せいかつ上 みんななかよし」「せいかつ下 なかよしひろがれ」(生活科教科書・指導書、共著、教育出版2012)「ワクワク!ドキドキ!おもしろ実験室」(共著、成城学園初等学校出版部2009)など。

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